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父の理容室を継いで「サロン・ド・レイズ」として規模を拡大してきた高石さん。
波乱万丈の学生時代を過ごした末に、6年半の修業を経て独立。
最初はなんと、理容師になるつもりはなかったそうです。
修業での経験を生かし、教育に力を入れ、いまでは直営9店舗 フランチャイズ2店舗のグループに!
いまでもなお事業の拡大を続ける「サロン・ド・レイズ」を経営する高石さんとはどんな人なのか?
グループ会社のオーナーをやりつつ、現場に立ち続ける理由とは?
思いの丈を語ってもらいました。
はい、よろしくお願いします。
理容師になりたいと思ったのは25歳の時です。
僕の小さい頃からの夢は理容師ではなく、社長になることでした。
理容師というより、あくまでも商売人の息子だったので、社長になることが考えの基本になっていました。
父は21歳で独立して、77歳まで理容師として働いていた人でした。なので、父からよく「大学生ぐらいの時には自分で店やってたよ」と言われてましたね。
父を超えたいとずっと思っていましたよ、どうしても20歳までに創業したかった!
そのために、大学に通いながら、車のブローカーやファミリーレストラン、工場のバイト、土木の会社までたくさんのアルバイトを掛け持ちしていました。
仕事が大好きで、土木の会社では現場2年目で現場監督を任されたこともありました。
あの頃は月30万円ぐらいお給料もらってましたよ~!
20歳になった時に大学を中退して土木の会社を立てようとしたのですが、「大学だけは出てくれ」と母に止められましてね(笑)
父が21歳で起業したことが基準になって、あの時はとにかく早く社会に出たいと思ってましたね~。
結局、ちゃんと大学は卒業したけど、就職活動はするつもりなかったんです。
会社作りたいので。
そしたらまた母に反対されて、「あわてるな、社会勉強をしてくれ、資産が無いうちに土木会社作ったら黒字倒産もあり得るよ」と言われて3年間だけ働くことを条件に、自動車会社に入社しました。
2年9か月ぐらい働いたときに、学生時代に働いていた土木会社から営業部長のポストでスカウトが来たんだけど、独立するとしたら土木会社の子会社になってしまうので、10年は回り道になる気がしましたね。
だからちゃんと自分のお店として経営出来るのは、「実家を継ぐ」ということでした。
そう。母親に理容師免許を取ろうかなって言ったら、すごく喜ばれて「こんなに喜ぶんだ、やっぱりそれがいいのかな」って思いましたね。
まあ何よりも、
当時の理美容業界の電話帳はフリーダイヤルすら書いていない、未成熟な状態だったので、この業界なら努力すれば勝てそうと思ったのも大きいですけどね!
初めて父に相談したんですよ(笑)
そしたら、「日本一の先生だからこの人のところに行け」って名刺を渡されて、神奈川に修業に行きました。
当時6店舗の理容室を経営している人で、本当に厳しいお店でしたね。
出勤前にトレーニング、退勤後にも練習して…。
火曜日が定休日だったんですけど、同期に負けたくないから、「給料なしでいいから系列店の美容室で働かせてください」とお願いして毎日練習していましたよ。
6年半ですね。
全国コンテストのレディース部門で優勝して、ようやく実家に戻ってくることができました。
そうですね、
僕が大事にしているのは「多様性」ですかね。
サロン・ド・レイズには、色んな人が働いているので、その人に合った教育をすることを心がけています。
例えばカットモデルをやって雑誌にのるキラキラした仕事をしたいとか、家庭と仕事の両立を目指したいとか、それぞれの人が目指すキャリアを実現できるように、色んな工夫をしています。
もともと修業していたグループ企業が人材育成サロンだったので、教育に関する考え方や経営理念をすごく勉強させてもらったからですね。とにかく教育に関して妥協しないサロンで働いていたので、「技術」・「人間力」・「経営」の観点からしっかり教わりました。
いわゆる引き出しの数です。
お客さんが「こういう感じの髪型にしたい」と漠然と言われたときに、引き出しが少ないと会話を広げることができない。でも、自分の中に引き出しをストックしておけば会話も広がるし、お客さんの満足度も上げることができる。
お子さんからご高齢の方までいらっしゃいますね。
うちは「キッズカット」と「ヘアドネーション」に特化したんですよ。
キッズカットやヘアドネーションは利益が出にくいサービスだから他店があまりやりたがらない分、久留米でずっとやっているのはうちぐらいになりました。なので、常連のお客さんだけでなく、お子さんやその親御さんにもご来店いただけるようになりましたね。
もちろん、濡れパンやスキンフェードもうちはもともと得意なんですけど、キッズカットの特化を続けていくうちに、スキンフェードなどほかのカットも徐々に認知が上がっていきました。
うちでは色んなお客さんや髪型に触れることができるので、他店にはない経験が積めると思います。
樋口さんみたいに新人の子は、本店に来て僕が教育しています。
新しく入った人を置き去りにしないように気を付けていますね。
とはいえ、技術者の方も本店で教育することもあります。
※新人教育についてのインタビュー記事はこちら
人を雇う時や出店するときは大変だけど、わくわくするので楽しいじゃないですか。
でも、やりだしたものを辞めるとか、雇ったスタッフが辞めるのはその何倍も疲れるものです。
42歳のクリスマスイブに、突然電話がかかってきて、出店先の親会社から「閉店するので出ていって」と言われましてね。
忘れもしない最悪なクリスマスイブです。
年末年始で忙しくて動けない中で突然閉店となってしまい、小倉・福岡・長崎3店舗分のスタッフ十何人の生活が守れなくなってしまう危機的な状況を迎えた時が一番きつかったですね。
元旦からとにかく近隣の温浴施設を1店舗ずつスーツで回ってお願いして。
でも長崎の方はどうしようもなかったので、長崎駅にお願いしてコインロッカーをどかしてもらってそこに店舗を入れました。なので、3店舗とも代替店を出店しました。
一般的に閉店が決まったお店がスタッフを解雇することもありますよね。
そこを会社都合による解雇にすることは、会社ができるスタッフへの最後の愛情だとも思っています。
しかし今回は結果として、代替店をしたので誰一人として解雇者を出さずに済んだことは本当に良かったです。
雇用を守るという責任。
自分が採用した責任。
スタッフの生活を何とかしたいという想いがあって、自然に動きました。
10店舗経営になってくると、多くの経営者はハサミを置くんですね。
それは10店舗なので、経営が回らなくなっちゃうからね~。
でもね、僕はハサミを置きたくないんです。
死ぬまで技術者でいたい!
たとえストレスがあっても、お客さんの前に行くと顔が変わりますし。
理容師という仕事は本当に幸せな仕事だと思っているし、来てくださったお客さんには感動して帰ってもらいたいという想いをずっと持っていますね。
好きだからです。
スタッフ育成するにあたって、お客さんを入れるじゃないですか。
どんどんスタッフが上手くなるから、それはそれで嬉しいんですけど…
本音は自分でやりたい。
「このお客さんをうならせたい!!」
自分がやったらどうなのかと考えちゃうんですよ。
「技術で会話する」
スタイリングを通して、お客さんと無言の会話ができる。
「あなたただモノじゃないでしょ」って後からお客さんから言われて、
「あら、バレちゃいました?」みたいな会話もしたりして(笑)
技術で僕という人を知ってもらう。
自分が積み上げたものでお客さんが喜んでくれることがやりがいです。
そうです。
でも、そうすると経営が回らなくなっちゃうから、中間管理職やオーナーの教育にも今後力を入れていきたいと思っています。いま直営9店舗で、フランチャイズ2店舗だから、しっかり力を入れていかないとなという段階です。
<サロン・ド・レイズはこんな職場>
・確かな実力を持ったオーナーが経営するサロン
・教育に力を入れている&様々な経験が積めるので成長しやすい環境
・現場視点を持って経営を行っているサロン
もし、こんな人と働きたい、こんな環境で働きたいという方はこちらからお電話で見学を✨
https://kurume.mypl.net/recruit/00000022263/
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